藤 浩志とかんがえる「地域づかいの極意 」スペシャルトーク レポート+インタビュー

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藤 浩志とかんがえる「地域づかいの極意 」
スペシャルトーク レポート+インタビュー

3月18日、高知県立美術館にて、スペシャルトーク 藤浩志とかんがえる「地域づかいの極意(アート)」が開催された。

充実の3時間のトークは、藤さんの学生時代の染色作品発表時のエピソードから、地域とアートへとつながって行った経過、どのような視点を持って活動を行って来たか等、 まさに「地域づかいの極意」を知ることができる貴重な機会となった。

盛り沢山の3時間トークの全貌はご紹介しきれませんが、今号ではトークイベントの一部をレポート、そして、 トーク後の藤さんへのインタビューをご紹介致します。



高知県立美術館は、 現在、県内各地の休廃校を拠点にした「休・廃校活性化プロジェクト」  に取り組んでおり、アートの視点を取り入れた地域活性化事業を展開している。
今回のトークはこの  地域とアート  をめぐる事業の一環として行われたもので、  講師の 藤 浩志 さんは、国内外で数多くのアートプロジェクトを手掛けてきた美術家であり「大絵金展」会期中の11月3日(開館記念日)に高知県立美術館で行われる 「高知絵金灯明」プロジェクト を担当する。
 
 
   人や社会が「つながる仕組み」に並々ならぬ関心をもつ藤さん、その原点は工芸(染織)科の学生時代に同時に経験していた劇団の活動に由来している。
 染色の作品として制作した鯉を京都三条鴨川に泳がせたり、着物を作ればそれを使う機会をつくったり、常に"作られるモノとシクミの関係"を考え、"空間をイジる" ことを続けて来たのだそうだ。
 
 
    劇団引退後、1つの装置としての劇場とその外にある地域社会とのギャップを感じ、1歩外に出れば自分の及ばない空間があることを強く認識したことで、「まち」に対してのアプローチを始めるに至る。 まちとの関わりは、初めのうちは予期せぬことの連続だった。  それまで経験していた、当時大学で勉強していた作品を考える上での空間がいづれも概念の空間であり、美術という用意されたシステムの中にあったが、一歩外に出ると地域社会には異なるシステムが複雑に絡み合っていて、想定外のことが次々起きた。 それがとても刺激的で興味深かったと語る。
 
 
 地域の中で作品世界を展開することを試みたり、分かりやすさ簡単さを感じてもらおうと着ぐるみのゴジラを制作して歩き回るパフォーマンスを行なったり、はにわを美術という概念に見立て、池に沈めて美術との別れの儀式を行なうなど、"ものの設置以外でもできる連鎖" を取り入れた活動を行い、様々な想定外のことに出会いながら、外のシステムと関わり続けた。 背景には、自分の表現をまちという画面に描きたいという思いがあり、振り返れば苦しいながら よい修行だったと語る。
 
 
 そんな時代に出会った「ふたりはともだち」という絵本は、藤さん自身が、美術の活動とは何か?アートマネージメントとは?と考える時によく思い起こす物語なのだそうだ。
  「手紙を待つ時間が一番憂鬱だ」と言うガマくんに、カエルくんが「君が僕の親友であることをうれしく思う」という手紙を書き、カタツムリに配達を頼む。カエルくんは手紙の内容をガマくんに話して伝え、手紙が届くまでの3日間をふたりで楽しみにし幸せな時を過ごすことになった。 --という、カエルくんとガマくんの友情物語だ。

    時間とは後ろ向きに歩くようなものであり、過去は刻々と目の前に広がってゆくが未来は後ろにあるので本来見えない。ただし、目の前に見えている過去から未来を推測しながら次の一歩を踏み出さなければならない。ガマくんが抱いたような憂鬱やもやもやとした違和感・ズレは見えているが無視してしまいがち。その違和感に向き合うことでカエルくんの手紙が発生し結果として"期待に満ちた未来の時間を作り出した"といえる。
 つまり、アート作品というと"もの"で見てしまいがちだが、本当に作ったものは"期待に満ちた時間"ではないだろうか?という考えに基づいて藤さんの活動は展開されている。
 
 
    まちや地域というシステムは、ある時期"良いとされた価値観"によって仕組みが作られ流通し製品化され成立している。 そのため後の時代から見ると常に若干の違和感やズレが生じ、そのもやもやはいつも何らかの形でそこにあるといえる。 アートは、何でもない状態のものにエネルギーを注ぎ凄いものに変える技術であり、日常が変化し感動を立ち上げることができる技術だといえる。 地域社会のあらゆる現場に"期待に満ちた幸せな時間"をつくることがアートの力によって可能なのかもしれない。その拠点として美術館やアートセンターはあるべきだという。
 
 
90年代半ばから、地域に関わる地域型のアートプロジェクトが広がりアーティストがまちに出て活動しはじめた。そしてそこから、逆に『美術館とは何なのか』が問われ始めたともいえる。
 
 
    例えば、ワークショップで「〜を作りましょう」型の決まっている結果に向かう作り方のプロセスより、「〜で遊ぼう」という可能性が広がるベクトル提示型のほうがよりクリエイティブな形を導き出すように、フレームの作り方で全く違う時間ができるのだという。
 何かをつくろうとするのではなく、自由にまちを使えるしくみを用意することで、参加するアーティストや地域の人々は、"まちの中でいかに遊ぶか"を考え、結果的には相当面白いものがつくられる。そしてそれに向かう時間がなによりも価値があるのだという。
 
   また、参加する人達にはそれぞれの性質によって役割があり、何にこだわる人が居て、どんな面白い人と出会えるかで全体のバランスが変わる。 例えば、植物を育てるとしても、ある人は光をあてることを考え、ある人は良い状態の土を作ろうとするように、様々な関わり方があるという。 マスコミが取材したり評論家が批評するという光のあて方もあれば、風のように色々なものを外から運んで来る人や、興味と関心を持って水のように流れて来る参加者が居て、周囲の世話をする人だけでなく、自分の作品を必死で作っている人の存在も周囲に影響を与える必要な関わり方なのだ。
   特に藤さんが美術家の視点から着目することは、「表現には常に全体を編集する能力が問われる」こと、「表現することと表現を形にして落とし込む能力とは別のものだ」ということ、そして「表現とは今までの常識をどう良い方向へ裏切り越えて行くかであり、それまでの自分を客観視し自分自身を越える行為であること」など、意識的に表現と向き合う必要があげられるという。
  さらに、表現の前段階には必ずもやもやがあり、それを"イジる"ことで表現が産まれてくる、自分が何をイジっているのかをよく知ることが大切になる。つきつめると自分は何のフェチなのか、自分のフェチな部分を見いだすと、続ける糸口をみいだす事ができ、それまでの自分を越えていくことにつながる。
   最終的にそれを、地域整備・フェスティバル・展覧会・映像などそれぞれの仕組みのフォーマットを読み込み編集し、発表することで社会との接点をつくることになり、作られたイメージが次へのつながりをもって広がってゆくのだという。
 
 
 このような藤さんの思想と構想をふまえ、今秋に高知では、「灯明」のプロジェクトを展開する予定となっている。 「まちに祭をしかけ、しくみをインストールする」という観点から博多や神戸などでも行われて来たもので、この灯明のプロジェクトも廃校を発端としているのだそうだ。
 博多の4つの小学校が統廃合されることとなり、校庭が公園になると運動会やサッカー場として使っていた"地域の場"としての機能が失われてしまうことから「公園と校庭の役割をあわせもったものにできないか?」という思いを込めて"公庭"と呼び、それを使う仕組みを考えたのだとか。紙袋とロウソクと砂だけでできる灯明をたくさん並べ、"灯明で公庭に絵を描く新しい祭"の仕組みをつくりだし、地元の人々に渡していこうと試みたものだという。 現在では一級灯明士を名乗る人々も誕生し、連鎖反応が起こってあちこちの学校で開催され、プロジェクト全体が地域に根付いてきているそうだ。
 高知でも「灯明祭」をきっかけにこのようなつながりや広がりをつくってゆけたらと今後の展望を語った。
 
 

インタビュー

 -- 今日のトークの最後に、4月から十和田市現代美術館の副館長に就任することになったという驚きの報告もありましたが、藤さんの活動はアートに関わる色々な立場の職業からも可能だとおもえるのですが、あえて「美術家」として活動されてきたのにはどんなこだわりの理由があるのでしょうか?
 
 
藤 浩志 氏 (以下、藤) 僕の肩書は藤浩志企画制作室勤務ということになっていますが、基本的に"自分に何ができるかを考えつくる。"ことに興味があります。この肩書きは周りの人が何をしている人かによって、その内容がいろいろ変化する。美術家という立場もそうですが、あらゆる立場を横断できます。様々な地域に入ってその土地特有の風景だとか人だとか内部の仕組みとかに出会って、自分の中でいろいろなイメージが発生し、そこから何かをつくろうとするその時間がとても貴重だと感じています。
 
-- 立場が流動的に変わる状況にあっても、美術家として動くと動きやすいということですか?。
 
 
藤:システムの中にいるといろいろ動きにくい面もありますし、多くはある種のミッションが与えられて動かざる得ない状況です。その意味で美術は拡大解釈できますし、自由であること、感覚的であることを前提としていますから動きやすいのは確かですね。
 
-- 自由な表現のアートとは対局な立場の人も関わってきますよね。
 
 
藤:アート内部の人でもアートの権威に縛られて面白くない人はたくさんいます。逆に地域で活動を作ろうとしている人の中には感覚的に自由で、凄く面白い人がたくさん居ます。僕にとって専門外の分野の人と出会い、その人の情熱のようなものに触れると僕自身が刺激され、そこから何か凄いことがはじまるような気になってしまうんです。それが面白い。
 
-- 地域に入って活動を行うことは、地域側から見ると「外の人」からのアプローチになるとおもうのですが、そのことで問題が起きたりはしないですか?事前のディスカッションで全てがクリアできますか?
 
 
藤:むしろ、外の人間だからこその役割があって、新しい視点や違う視点を持って動くことができると考えています。例えば、瀬戸内国際芸術祭でいえば 「こえび隊」 のように、 自分の興味や関心によって外から瀬戸内に流れてきて、 瀬戸内国際芸術祭に関わった人達がいます。 僕は興味と関心・好奇心で動く性質の人を「水の人」と呼んでいますが、 その地域で何かを育てたい人ばかりでなく、そんな水の人達の存在というのはとても重要だと考えています。
 
 
-- 藤さんの作品の成り立ちは、 まず新しい地域に入って歴史や文化を知る中で、 藤さん自身が過去に経験したことと地域で様々な人との出来事が重なったりして、 作品のテーマや展開につながって行くのでしょうか?
 
 
藤:  僕の場合はそこまでは美しくなくて、もっと自分に身近な所からです。何をいじろうかな...と向き合うことからですね。
 
 
-- 「地域づかいの極意」 とは、まとめると何だと言えるでしょうか?
 
 
藤:  一番は、やっぱり当事者が楽しんでやることですね。関わる人皆がそれぞれのフェチを自覚しつつ、その行為を必死に楽しむ態度が前提です。 そのうえでその行為をちゃんとそれぞれが客観視し、"深く大切な活動か?"と疑問を抱き、自己満足に終わらず、それぞれが自分の限界を超えようとすること。そして最後に編集能力です。まちの仕組みや問題、違和感を読み込み、フォーマットをちゃんと用意してその仕組みにふさわしい形にそれぞれの活動をちゃんと編集して社会化する地域実験が数多く必要なのだと思っています。
 
 

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博多灯明《公庭はすばらしい》 (旧御供所小学校・福岡、1998)
 
 

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 ← いらなくなったおもちゃを利用した循環システム『かえっこ』のプロジェクトで集まったオモチャのうち、残ってしまうおもちゃのパターンとして、ぬいぐるみ・破片・ファーストフード店のおまけでもらえるおもちゃなどがあり、そのうちの"破片"を集めて制作された恐竜。  藤さんはこの恐竜を制作しながら、 同時に 「何かをつくらせようとするのではなく、やってる人をみて真似してはじめる "つくらせようとしないワークショップ" 」を試みようと、 自ら現場で "必死になってつくっているおじさんの態度" を遂行し、ワークショップを体験したこども達はそれを真似て作品をつくった。
 
 
 

 
 













 

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藤  浩 志 (ふじ ひろし)  
1960年鹿児島生まれ。
1985年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了後、パプアニューギニア国立芸術学校講師、都市計画コンサルタント勤務を経て、
1992年藤浩志企画制作室を設立。
1997年に福岡に拠点を移した後、地域活動とリンクしたシステム型の表現を試行錯誤しはじめる。
紙袋の灯明をツールとした『博多灯明』、いらなくなったおもちゃを利用した循環システム  『かえっこ』、  青森ねぶたの廃棄物が日本列島をつなぐ『光の龍の物語』等、日本各地、アジア各国のアートプロジェクトの現場で「対話と地域実験」を重ね、ズレながらも活動の連鎖を促し続けている。
第12回バングラデッシュビエンナーレ(グランプリ受賞)、越後妻有アートトリエンナーレ、瀬戸内国際芸術祭等出品。  現在、福岡県糸島市在住。  
神戸大学非常勤講師。

*詳しくは作家ウェブサイトを参照。  http://geco.jp/





絵師・金蔵 生誕200年記念 大絵金展
10月28日(日)― 12月16日(日)      主催:高知県立美術館
高知の代表的な画家の一人である絵金(絵師・金蔵)の生誕200年を記念して、絵金と土佐独特の文化である芝居絵屏風の世界を、当時の時代性や最新の科学調査の結果も含め、屏風や掛け軸、絵馬、横幟等と併せて紹介します。 作品展示数約150点
 

 2012年 香南市絵金生誕200年記念事業
 
7月14・15日 須留田八幡宮宵宮祭  場所:香南市赤岡町本町商店街
 
7月21・22日
 土佐赤岡絵金祭り 場所:香南市赤岡町本町・横町商店街
 第1回えくらべ復活展 場所:香南市赤岡町本町・横町商店街 及び  絵金蔵前広場
 絵金祭り特別展示・夜間開館 場所:絵金蔵
 絵金歌舞伎公演 場所:弁天座
 
 
9月30日 記念式典 場所:弁天座
 
 
11月11日
 絵金歌舞伎公演 場所:高知県立美術館ホール
 
 
[生誕200年関連 美術館での企画]
絵金とその時代展 11月10日ー12月16日 主催:香美市立美術館 


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