
全国10カ所にアウトサイダーアートの保存施設を設立すべく、滋賀のボーダレスアートミュージアムNO-MAが全国に声をかけ、準備が進められている。
本紙では美術館が完成するまでを連載レポートします。
コレまでの経過 : 高知の拠点場所が藁工倉庫(わらこうそうこ)群内に内定、名称を「藁工ミュージアム」と決定し、現在は別棟に開設準備室が設立され、プレ展やレクチャーなどの活動が行われています。
今号では、7月23日に藁工倉庫内 蛸蔵にて開催された、藤本由起夫氏のレクチャーの様子をご報告致します。

藤本由紀夫氏レクチャー「アートについて」
平成23年7月23日(土)15:00~17:00 蛸蔵
藁工ミュージアム・プレエキシビションvol.2「イロイロもゆランド」の関連イベントとして、アーティスト藤本由紀夫氏を講師にお招きし、高知市北本町の多目的スペース・蛸蔵にて、レクチャーを開催しました。
国内外で活躍されている藤本氏のお話が聞ける貴重な機会ということで、県内の文化施設、病院施設、教育関係者、またアーティストや学生など、約40名の方々がご来場下さいました。
レクチャーでは「アートについて」というテーマで、アーティストという立場から、アートのありかたについて、様々な事例の紹介を交えながらお話していただきました。
レクチャー終了後の質疑応答では、美術館の在り方、アーティストとして生活していくための課題など具体的なお話にも広がり、今後の藁工ミュージアムの在り方、存在意義にも考えを馳せらされる機会となりました。
ここではそのレクチャー内容、また質疑応答についてご紹介いたします。
レクチャー
中学時代、シュトックハウゼンの音楽を聞いたことをきっかけに、大学でも電子音楽を専攻しましたが、大学卒業後、電子音楽に限界を感じるようになりました。その頃遊び半分でつくったオルゴール作品をきっかけに、アーティストとして活動し始めました。
作品をつくっていく中で、作品そのものへの興味から、作品を展示する空間、展覧会をどうつくりあげていくのかについて興味を抱くようになりました。西宮市大谷美術館での「美術館の遠足」、またアール・ブリュットとの出会いともなる開館前のNO-MAでの展覧会を通じて、また新たな疑問が生まれてきました。
特にアウトサイダーについての記事が掲載されていた雑誌を読んだとき、自分自身が専門教育を受けていないという点でアウトサイダーに分類されるという事実に非常に驚き、違和感を感じました。アウトサイダー・アートとよばれる作品をどう観たらいいのか最初はわからなかった。果たして彼らは自分自身をアーティストとして意識して作品をつくっているのか、アーティストとしての責任を持つことができるのか、そんな疑問がどんどん湧いてきました。
そこで「アート」という言葉の意味や責任とは何なのか、という問いにぶつかったわけです。色々と考えていく中で、デュシャンや、僕自身が影響を受けたシュトックハウゼンたちの残した言葉を知り、作品には驚きを持って、作品がどう自分の想像力を刺激してくれるのかを感じながら見ればいいと自分なりの答えにたどり着きました。
アメリカの科学者、リサ・ランドールが研究の上で大切なものとして挙げた3つの言葉、「Curiosity(好奇心)」「Understanding(理解力)」「Friendship(友情)」。これはアートの上でも言えることです。作品を見て驚いて、好奇心を持つ。そこからこれは一体なんだろうと理解しようとして、それについて友達と話しあう。その中からまた新しい作品が生まれて、他の人の驚きや好奇心へつながっていくわけです。
アートというのは発見する行為そのもので、アートを体験する人がつくり出すもの。驚き、好奇心を持ち続けることで面白い文化がつくられていく。アートは大きな力と意味を持っていると思います。
質疑応答
質問者
「美術館の遠足」は、美術館担当者が変わる中、どうやって10年間も続き、プロジェクトしてどのように完結したのでしょうか。
藤本由紀夫(以下、藤本) まずは1ヶ月かけて毎週土曜に展覧会をするというワークショップから始めました。とても好評で、今度はそれを10年間やりませんかとお誘いいただいたのですが、まぁ冗談だろうと思って、2、3年続けばいいだろう、ぐらいの気持ちでお受けしたんです。4年目のときに新しい担当の方に変わったのですが、それが逆に刺激になりました。担当者が変わっても10年間続けることができた理由の1つに美術館の遠足のための友の会ができたということがあります。友の会の会則に西宮市民が1人でも友の会にいる限り、美術館は10年間のプロジェクトを辞めることはできないというシステムがありました。これは美術館だからできたことで、私だけではできなかったと思います。一見固く思えるシステムでも、システムがあるからこそ、できることがある。組織の中に入って勉強になりました。
質問者 具体的にこんな本を読みなさい、こんな人の展覧会を観に行きなさいというのがあれば、参考にお聞きしたいです。
藤本
今みたいに検索して出てくる時代ではなかったので、とりあえず、とっかかりがあったら何でもいいから観に行って、今度はそれに付随するものに出会っていくようなことをしていました。でもそれがあるから面白いんです。ネットは関連づけして出てくるので、出会い頭がない。だから今の人達は、ピンポイントで狙いたいものはネットを、そうじゃない場合は、無駄をしてみたり、わざわざありそうな所へ行ってみたり、探してみるといいと思います。藁工ミュージアムのような場所がそうなればとてもいいと思います。
質問者
藤本さんがお若い頃、お金についてはどのように考えていらっしゃいましたか。
藤本
ひとつ言えることは、人生どうにかなる、ということですね。適当にやっていてもなんとかなるし、一生懸命やってもなんとかなるから、あとは自分がやりたい方向を決めればいい。人に言われてやるのが一番よくない。
現実問題、日本でアーティストとして生活するのは難しいです。社会で認められていないんですよね、アーティストというものが。最低ラインだけでも社会がバックアップする状況が生まれれば、かなりよくなると思います。そういうシステムをつくっていくのは、我々世代の責任かもしれません。お金のことをちゃんと考えないといけないということは確かです。でもお金だけではないということも確かです。
質問者
美術館の役割は、過去の作品を保管する場所である以外に、どういう役割がこれから必要になってくるのか、またどういう役割の場所として存在していくのでしょうか。
川浪 千鶴(高知県立美術館 企画監兼学芸課長)
美術館のこれからには大きな可能性があると思います。やはり美術館にとって、作品を保存・管理する「つたえる」役割は大きいです。私はよく、美術館の美はびっくりの「び」だと子どもたちに言いますが、その作品を何度観ても、びっくりできるための環境やシステムを、時代を超えて整えなければなりません。 そのためには、美術館を利用する人達の力、美術館を活用する、関わる人の力が大切です。人間と同様に美術館にも変わらない部分と、常に変わり続ける部分、その両方が必要だと思います。時代やさまざまな関係から生じる変化を受け入れながら、その根本には変わらない部分を持つ。私は美術館にそういうイメージを持っていますし、そこから新たな可能性が生まれると思っています。
(敬称略)
(文責:藁工ミュージアム開設準備室 出口)

藤本由紀夫(FUJIMOTO,yukio)プロフィール
1950年名古屋生まれ。 大阪芸術大学音楽学科卒。
70年代よりエレクトロニクスを利用したパフォーマンス、インスタレーションを行う。
80年代半ばよりサウンド・オブジェの制作を行う。
音を形で表現した作品を個展やグループ展にて発表。
その作品をつかったパフォーマンスを行うなど、空間を利用した独自のテクノロジーアートの世界を展開している。1997年ー2006年「美術館の遠足」(西宮市大谷記念美術館)、2001年、2007年ヴェネツィア・ビエンナーレ参加。

















